〈Note 57-1〉住まいの長持ちは「動線」で決まる?!

57-1 住まいの長持ちは「動線」で決まる?!

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短命に扱われている日本の家

 現在の日本社会では、高齢化や少子化を伴う人口問題を背景に、空き家の増加や住宅の短命化が問題視されています。この意識の高まりは、20159月の国連サミットで採択された、国際社会共通の目標であるSDGS(エス・ディー・ジーズ)にも起因しています。

住まいの「動線」・ノート一覧
57-1 住まいの長持ちは「動線」で決まる?!
57-2 住住まいの「動線」検討は「知覚価値」を高める起源
57-3-1 住まいの「動線」 分類と解釈
57-3-2 住まいの「動線」「生活動線」は動線の総称
57-3-3 住まいの「動線」 「家事動線」は特別な動線
57-3-4 住まいの「動線」 「来客動線」は特別な動線
57-4 住まいの「動線」「作業動線」とは?
57-5 住まいの「動線」「視聴嗅動線」とは?
57-6 住まいの「動線」 動線の「次元性」とは?

 
 SDGSSustainable Development Goals:サスティナブル・デベロップメント・ゴールズ)とは、国連加盟国が2016年から2030年の15年間で目指す「持続可能な開発目標」のことで、持続可能でより良い世界にするため、様々な分野において掲げられる目標のことです。

 持続可能な世界とは、地球環境や自然環境が適切に保全され、将来の世代が必要とするモノを損なうことなく、現在の世代の要求を満たす様な開発が行われる社会のことです。

 これに照らし、我が国の社会の一端である住宅の持続性を評価すると、著しく劣っていることが明白です。
 近年の滅失住宅の築年数比較においては、アメリカの66.6年、イギリスの80.6年に比して、日本は30.35年(国土交通省推計1993年~2013年)と、半分にも満たない期間で取り壊されていて、大きく引けを取っているのが現状なのです。
 

 
 滅失住宅とは、地震や火災などによる災害での滅失を除く、いわば人為的に解体された住宅のことです。

 モノを大切にする日本人の精神や、謙虚さ、勤勉さ、といった国民性が否定できないうえ、日本が先進国として名を挙げて以来、地震大国であるがこそ、その技術や性能によって住宅の寿命は飛躍的に伸ばされているであろう、というおごりによって、この事実に疑念を抱いてしまう方も少なくはないでしょう。

 日本と海外の社会構造に違いがあるとは言え、いったい何がこんなにも大きな差を生み出しているのでしょうか。
 「モノを大切にする国民性」を継承して来たはずの私達には、大いなる課題なのかもしれません。

 様々な要因が考えられるなかで、最も関係が深いと言えるのは、家への本質として人が持ち合わせる心理が基となる「思考」に違いがあるからではないでしょうか。
 
 この「思考」は、家を買ったりつくったりするときから関わる「思考」であり、持続に対する「思考」でもあります。
 
 私達の「思考」は、法規や慣習などから成る社会情勢や社会構造によって、心理的に強く影響されます。
 
 ですから、家を手にする側だけでなく、売ったり建てたりする側にも備えるべき、持続することを考えた「つくる時の本質の思考」に何かが欠けていると言えるのです。
⇒挿絵 日本の住まい 現状の考察
 



「つくる時の本質の思考」に欠けている何かとは何でしょうか。


 どんなに地震や火災に強く頑丈で、劣化しにくい構造や素材を用いた家であったとしても、いつまでも新品同様であるはずはなく、劣化や摩耗、汚れなどが付きものであることは、言わずとも知れたことです。
 そのうえで、長持ちする家には、その維持や応用のし易さといった「つくる時の本質の思考」が存在するものです。
 
 その維持や応用のし易さに「本質」があるならば、自らの手による維持や応用の機会をも与え、愛着や味わいも深まり、末永く住んでいたいという気持ちにも繋げてくれます。
 何よりも、その家を視て考えることを容易にし、自らの手で維持や応用ができなくても、心理的に長持ちに繋げてくれるはずです。

 お金と時間を秤にかけることばかりが物事の判断基準と化した社会では、モノへの心理さえも、お金と時間に左右させられるようになります。
 人の「思考」の「本質」が試されるわけです。

 我が国の戦後の高度経済成長という社会情勢は、現代日本人のモノの評価に表裏の「思考」をもたらせたと言われます。

 表向きには「もったいない」と発するけれども、裏側では自分に不利益になったら「捨ててしまえ」と考えている。
 そんな「使い捨ての思考」です。

⇒挿絵 日本の住まいがなぜ短命なのか?

  

 
 他に例が無い速さと評された経済成長はやがて、安い外資の導入によるモノ余り時代の到来と共に、「もったいない精神」の裏で矢面には立たない「使い捨て文化」を生み出しました。
 欲しいものが容易に手に入る時代の「もったいない精神」は、行く末考えずに手に入れたモノで身も心も溢れさせました。明くる日の処分は、もったいない精神との決別を誓う必要はあるけれど、修理したり、再利用したりする気持ちも、感謝も、手に入れた時の思い出さえ忘れる。「使っては捨て」を繰り返す。
 そんな文化です。
 リサイクルというカタカナ五文字は、結果として多くの現代人の秤を狂わせ、家を「短命に壊して良い」という評価や認識の蔓延に至らしめたと言えるのです。
 
 家は財産です。
 
 貴方にとっても、国や地方にとっても、私にとっても、地球にとっても変わりの無い、大切な資源から成る財産であるはずなのです。
 
 

狭小化が進む日本の戸建て用地

 日本の家の短命要因を探るうえで、住宅事情を司る国土交通省や総務省が公開している統計資料を視ると、高度経済成長を期に爆発的に増えてきた戸建て住宅の敷地面積が、高度経済成長期中盤の昭和35年(1960年)頃から年を追うごとに縮小化していることに気が付きます。
 これは、戦後の人口増加による住宅用地の細分化の進行を意味しています。

住宅戸数の増加は元より、
床面積はどうなったのかと言えば、昭和25年(1950年)以前には130㎡を上回っていた住宅全般一戸当たりの床面積は、高度経済成長期中期の昭和45年頃には100㎡を下回ります。
 たった20年間で30㎡も減少化させた本丸は、住宅が主要都市部近郊に集中したことによる、敷地面積の縮減にあります。この縮減がいかなる現象であるかをあえて言えば、畳で18帖もの面積に相当し、概ね毎年1帖減って行くレベルです。
 都心部からその周辺への開拓が次々となされ、鉄道や道路などの交通網の整備が進んだ主要都市部近郊では、土地の分譲化やマンション、アパートなどの重層住宅が建ち進むなど人口が集中、ドーナツ化現象が生じ、圏内の住宅のコンパクト化に併せ、戸あたり敷地面積が縮減したのです。
 
 高度経済成長期以降となる近年では、90㎡前後に落ち着いている様にも視受けられますが、減少化は止むことがなく、平成12年(2000年)以降に80㎡台に突入しています。
⇒統計データ(住宅の床面積動向)

 




 一方、戸建ての持ち家に注目し、新築戸建て住宅の床面積を視ると、昭和58年(1983年)には118㎡であった全国平均の床面積は、平成11年(1999年)に最大値となる139.3㎡となったものの、それ以降は減少傾向になっています。
⇒統計データ(戸建て住宅着工統計)


 ここでは詳しいデータを紹介していませんが、主要都市部や一部の地方都市毎の新設住宅の平均床面積を視ると、高度経済成長期終末(昭和47年「1972年」)以降に100㎡(約30坪)を下回る都市が現れるようになり、主要都市部での床面積減少が顕著に現れて行く様になります。

 下表は、昭和58年(1983年)から平成30年(2018年)まで(35年間)の、持ち家の床面積の推移です。
東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、高知、宮崎、鹿児島、沖縄に100㎡以下となる時期が視られますが、東京と神奈川は、35年間100㎡以下となっています。

 ⇒統計データ(持ち家床面積の推移「全国」)



 東京を中心とした関東圏では、東京と神奈川がこの35年間、100㎡以下を推移していて、一都六県の平均値は115㎡程度に留まっています。関東一都六県は全国平均に比べ、16㎡~20㎡少ないのが現状です。
 ⇒統計データ(持ち家の床面積推移「一都六県」)

 この新築住宅の床面積減少動向を踏まえ、関東の一都六県に絞って一住宅あたりの土地面積の推移を視てみると、昭和58年(1983年)には295㎡であった平均土地面積が、35年後の平成30年(2018年)には32㎡(10.8%)減少し、263㎡となっています。
 ⇒統計データ(一戸当たり敷地面積)
 

  土地をある種の商品として取り扱う我が国の住宅用地の面積減少は、政治や経済状況に強いて影響して来ました。
 我が国の国土を鑑みれば、量的限度があることは一目瞭然なのですが、需要の高低に応じ価格調整を含めた分割による狭小化を常並みなこととしている運用法があるのも事実なのです。

 他方、住宅を求める人たちの価値観がその土地の人気度合を決めるので、土地の狭小化は人の「心理」に依存すると言えます。

 その取引の場面では、その面積の広さよりも商圏や駅からの距離を評価する「心理」による人気によって、言わば奪い合いさえ生じさせます。

 土地の奪い合いは、元には戻し難い土地の分割による狭小化をけん引し、土地の狭小化が家の面積を小さくする方向に導くので、家のコンパクト化までもが進行して来たのです。

 特に立地の利便性で人気高い地域では、狭い区画でも高効率に取引され、面積は小さく、区画数は多く、の理論が疑いも無く正当化されてきたわけです。

 近年では、経済や物価の上昇下降に影響し姿を変える都市部を鑑み、住宅密集化による災害や景観悪化の懸念などから、最低敷地面積が定められるに至った地域もありますが、規制の敷かれていない地域では、広い土地の家が取り壊され、複数に区画割りされ分譲がなされることなどが珍しくはない光景となっています。

 言うまでも無く、土地の狭小化が家のコンパクト化を正当化せざるを得ない理由ともなり、物価変動による価格の調整のためにも細分化が進められて来たと言えるのです。

 

家の狭小化が短命化を駆る

 我が国には、住宅の歴史や寿命、築後年数などの比較に要す確固たる古い統計がありません。

 学者と呼ばれるような人たちが、研究成果として論文や書籍などで示唆する数値を見かけることはあっても、現に私達が労を伴わずに実数として確認できる歴史的統計は希薄です。

 昭和時代から統計調査がなされている住宅着工統計に、国勢調査が元になる5年毎の日本全土の総床面積集計はありますが、平成以前の戸数を示す統計が無いので、昭和当時の戸当たり床面積は割り出せません。

 ですから、戸建て住宅の広さとの関係を示すものとなればなお、他の統計などを用いて推測するしかありません。

 データの質と量が重んじられる現代のデジタル社会に対して、アナログ時代と比喩される昭和の時代では、統計調査は煩わしいものであり、家の戸当たりの床面積など無用のデータと考えられていたのかも知れませんが、一定期間毎に一戸ずつ加算されたはずの総床面積の統計であるにも関わらず、戸数の統計が残されないという実態には合点の行かなさも、不思議さも感じることです。

 我が国の住宅の短命化は、高度経済成長期以降、長い間取り沙汰されてきた未解決の社会問題の一つでしたが、長引くデフレ景気に起因する人口問題により、空き家の増加が懸念されるに至った昨今、ようやく実数的事実に目が向けられる様になりました。

 国土交通省は、国勢調査の成果と住宅着工統計を基に、平成5年以降の5年毎の除去建物の築後年数を割り出し、推計として公表するに至っています。
「社会資本審議会 住宅宅地分科会 令和元年」⇒挿絵(データ・グラフ)平成5年~25年、平成25年~30年
 

 
 
 これによると、平成20年~25年の5年間の除去建物の築後年数32.1年に対し、5年後の平成26年~30年の5年間は44.3年となっていて、平成5年~25年の20年間の平均となる30.35年を実に13.95年も除去建物の築後年数が延びたことになっています。

 しかし、この数値を以て日本の戸建て住宅の長寿化や築後年数の延びを語るのは安直です。

 なぜならば、この現象には空き家対策特別措置法(平成25年施行)が寄与していて、国の政策が老朽家屋の除去を増進させ、築後年数を押し上げたと視られるからです。

 実際に、平成25年の空き家対策特別措置法の施行とともに除去建物件数はピークとなっています。

 それと同時に分かるのは、同年の全国平均の除去建物の戸あたり床面積は128㎡となっています。

 平成26年は126㎡、平成27年は124㎡と、一旦下落傾向となりますが、平成28年の空き家対策総合支援事業(補助金等の制度)の発起に併せるように再び増加し、最大値となる132㎡を示しています。
⇒挿絵(データ・グラフ)参照
 

 
 新築戸建て住宅の床面積が年々減少傾向にあるなかで、空き家対策特別措置法が昭和56年(令和3年の40年前)以前の老朽住宅を対象とした除去への措置であることを照らし合わせると、40年前よりも以前に建てられた家の床面積が30年前の家よりも広いこと、つまり、短命に除去されている家の床面積は、40年以前の家と比べると狭くなったことを示すエビデンスとなります。

 我が国の住宅の狭小化は、近年に至っても続いていていることが住宅着工統計を視てもわかります。

 平成11年と平成30年の比較では、持ち家が139.3㎡から119.7㎡の19.6㎡減少、分譲で95.4㎡から88.5㎡の6.9㎡減少、全体でも97.5㎡から80.4㎡の17.1㎡減少と、20年間で26坪(312帖)も減っているのです。⇒挿絵(データ・グラフ)参照
 

 
 これらの統計から分かるように、土地の狭小化から成る家の狭小化は、短命化を駆る要素としての因果関係が否定できません。

 それは、関東一都六県の除去建物数と床面積の関係を視ても分かります。

 平成24から令和2年(9年間)に取り壊された家は都心部に多く、かつ床面積が100㎡以下であるなどの特徴があります。

 単に東京や埼玉、千葉、神奈川には、建築されてきた家が多いということだけではなく、その床面積は他府県と比べ狭いと言えます。
⇒挿絵(データーグラフ)参照
 

 

30余年で除去される要因は人の思考にあった

 我が国には、1300年間もの存在が世界に誇れる建築物があるにもかかわらず、建築物の存続や除去に関わる統計や記録が希薄な国です。

 そのような背景にあって財団法人日本住宅総合センターは、除去建物の平均築後年数が27年と超短命となってしまった平成16年から平成20年(5年間)の状況について、「滅失住宅の実態把握等に関する調査報告書(平成23年発行)」で調査結果をまとめています。

 環境・エネルギー問題の深刻化によって、政府主導で展開がなされていた住生活基本計画(長期優良住宅法・住宅履歴情報の整備促進・住宅リフォームの促進等)がありながらも逆進する短命化がなお、真相解明を急務とさせたのです。

 この報告書では、政府や当センターが蓄積してきた統計データの引用と展開により、様々な角度からの分析がなされ、平均築後年数が超短命(27年)となった要因に対する見解が出されています。

 要約をすると、
 その要因の筆頭はバブル期に大量供給された築20年前後のアパート等借家の除去であり、バブル崩壊後の不況による不人気で増加した空き家対策として、土地利用の転向による築浅の除去が増加、除去戸数の引き上げにも築後年数の引き下げにも起因した。次いで、この5年間の平均築後年数が28.6年となる戸建てにおいても、バブル崩壊によって市場とかけ離れた高額物件の分割処理による除去や、増改築がし難い非木造住宅の築後20年に満たない除去、子供の成長などのライフステージの変化に伴う建替え契機が短命化に起因した。
 と評価しています。

 ところが、何十年も続いてきた30余年という平均築後年数を直接評価する見解を視ることは出来ず、環境・エネルギー問題の深刻化を背景に位置付ける住生活基本計画の遂行にあたり、政府指導のもと行った実態調査としては、称賛できる調査内容ではないという評価をせざるを得ないのです。

 特殊な事情と言える、バブル景気に関わる要因は排除するべきですし、短命要因の評価には、政府や当センターが持ち合わせる統計データだけでは、不十分であったと見立てられるからです。

 とは言え、この報告書にあっても、短命に除去され続ける現象に関わり深い要因を垣間見ることができ、むしろそれが短命化の真の要因であると思慮できます。

 それは、バブル期に限った現象ではない「ライフステージの変化に伴う建替え契機による除去」を要因として挙げている点です。

 住まいにおける「ライフステージの変化」という現象は、本質的には、どの時代のどの世帯にも、どの家族にも、誰にでも起こり得る現象です。

 さらに、この報告書が評価する「ライフステージの変化」という見解には、消費者調査などの積み重ねによって得られた統計データによる評価ではなく、ハウスメーカーの役員や社員などの偏りある相手を対象に、場当たり的に実施したヒアリング調査による評価が用いられている点に注意が及びます。

 積み上げられた確たるデータでは無いにも関わらず、要因として掲げているのには、相応な合理的理由があると捉えられ、真の要因はそこにあるのではないかと思慮させるのです。

 つまり、歴(れっき)とした専門調査機関が、統計結果とは言い難い「ライフステージの変化」を除去要因のひとつに挙げるということは、「私達日本人の多くが、この当然に起こり得るライフステージの変化への予測を怠り家の購入や建築を進めた顛末だ」と訴えたく、バブル期に於いては特にその傾向が強かったことを本質として捉えたのではないかと推察されるのです。

 確かにバブル経済は、人の心理に伴う思考に深く起因する現象でした。

 後先を考慮しない思考の蔓延が駆り立てた顛末だったことは、誰も否定の出来ない事実なのです。
 

 

30余年で除去される典型

 日本の家が30余年で取壊されている事実の認識として、先の国土交通省が公表する平均築後年数を受け入れるにあたり理解しておくべきことは、この数値はあくまでも平均値であり、ボリュームゾーン(統計の目的要素となる数が一番多い部分)を示しているわけではないということです。

 言い換えれば、30余年で除去される家が一番多いという意味ではなく、家の築後年数という性質上、5060年という築後年数の家もあるはずですので、ボリュームゾーンは30余年よりも下にあるということです。

 つまり、戸建て住宅に絞って視ても、平成16年から平成20年の5年間の平均築後年数が28.6年となっていることは、築後20年代やそれ以下で除去される戸建て住宅が最も多いことを意味しているのです。

 個人が家という財産を求める場面では、末永く住むこと以外にも、財産として後継者に残したり引き継いだりといった持続させることも意識し、期待も込めた入手がなされているはずで、数々の法規制や性能や技術向上の背景にあっては、30余年での取壊しを予測して入手することなどは、尋常なことではないと、多くの方が認識して来たことでしょう。

 国土交通省が昭和58年から実施している住生活総合調査に、戸建て住宅を所有する国民を対象としたアンケートがあります。
挿絵⇒データーグラフ 参照
 

 
 平成30年実施の「今後または将来の住み替えや改善の意向」では、「できれば住み続けたい」が60.6%、「できれば住み替えたい」が19.7%、「わからない」が18.6%となっていて、国民の末永く住むことへの意識が伺えます。
 
 また、同調査での住宅の評価に関するアンケートでは、昭和58年当初の「不満率」が38.4%で、それ以降徐々に減少し、平成30年には16.9ポイント減の21.5%となっています。

 これに比して「満足」は、昭和589.1%から平成30年には14.3ポイント増の23.4%となり、「まあ満足」は昭和58年の44.1%から徐々に増え、平成30年の8.8ポイント増の52.9%となっています。
挿絵⇒データーグラフ 参照
 

 
 「満足」と「まあ満足」の合計は昭和58年の53.2%から平成30年には23.1ポイント増の76.3%となっていることから、我が国の住宅ストックの評価としての満足度は、年々向上していると言えます。

 これには、政府の政策や法改正などによる新築やストック住宅の性能向上が起因していると言えますが、別の視方では、私達の持続に対する意識や思考が元の、ある種の基準によって選別が進んでいるとも視ることが出来ます。

 穿った視方をするならば、家というものが、個人や子孫に留まらず、国や世界にとっても資源が元の財産であり、そのことは家を手に入れる前から育んできた私達の持続に対する意識や思考によっても肯定されます。

 しかしその意識や思考は、家を求めた時にはさらに強く抱かれたはずなのに、持続性や継承性に欠けるのです。

 例えその家の持続に関わる意思や思考を家の家主が持続し持ち合わせていたとしても、その継承者となる子息や売買での買主には共感が得難く、本当の寿命に至る前に除去という選別がなされてしまうのが典型なのです。

 家の持ち主自身の突発的事情が起因する相続や売却は、誰にでもある、やむを得ない現象の中核です。

 とは言え、継承者となる子息や売買の買主が、持続を選ばずに除去を選択してしまうのは、持続の目的ともなる財産から視れば金銭的にはマイナス行為ですし、世界的に称賛される「SDGS」の観点から視れば愚の骨頂の域にあると評価されてしまうでしょう。

 除去という選択を生じさせる数々の要素には、これまでに論じた政治や経済といった社会情勢に起因する住宅用地の狭小化や、これに伴う家の狭小化といった、一個人では解決し難い要素以外にも、家そのものの形や質などからくる家という財産としての機能や、住む人の生命や健康へも繋がる性能とその持続性といった、個人が選択し得る要素が多分にあります。

 ですから、例え社会情勢が家の短命化に起因しているとしても、家を選ぶのは個人であるので、むしろ家を求める人の根拠ある意思や「思考」によって生じる、家への「知覚価値」と、曲がりの無いその継承行為が、最も短命化を食い止めることが出来る要素だと言えるのではないでしょうか。

 

家やライフスタイルにおける30余年とは

 そもそも私達の住生活と家の関係において、30余年とはどんな期間でしょうか。

 家を手に入れてから30年前後で起こり得る家としての変化は、現代の建築基準では自然倒壊や朽ちるようなことは殆ど想定されませんが、劣化や破損、故障といった現象が生じる可能性は十分に想定されることです。

 一方、家を手に入れてから30年前後に待ち受けているライフステージの変化と言える現象は、その人の年齢や立場により様々ではありますが、子供の成長や独立の他、定年退職、第二の人生の始まりなどの想定が容易にできます。

 住まいを求める人の多くは、末永く住まいたいという思いから、家の経年劣化の想定に対し、購入段階からメンテナンスやリフォームに値する予測を立てようと「思考」します。

 その人の認識や知識の多少によっては、勤勉さを伴った幅広くも深い思慮の機会を得ようとされることもあるでしょう。

 しかし、その想定が容易なことではあるはずのライフステージの変化に対する予測行為は省かれる傾向が強く、経年劣化の想定に対する予測行為も希薄で、住まいの検討段階には課題としてさえ挙げられないことが多々あるのです。

 その所以を一言で説明するならば、先にも解説した、社会情勢です。

 もう少し踏み込んだ言葉で解説するならば、これまでにも論じている「土地や家の狭小化」に起因する、売る側や建てる側の経済優先思考による時短措置にある、と言えばご理解頂けるでしょう。

 もっと具体的に言えば、住まいを求める人が、ライフステージの変化や経年劣化の想定に関わる検討時間を得ようと意識しない限り、相談相手次第となってしまう傾向が強いということです。

 ⇒挿絵 専門家による「認識の確認や情報提供」の違い
 


 

 ですから、住まいの検討段階でしばし問題となるのは、その予測を行う機会と時間を得ることなのです。

 巡り会ったハウスメーカーや工務店、不動産業者などによる、住まいを求める人への家の経年劣化やライフステージの変化に値する説明や対峙が真実無妄で且つ、そのための時間を惜しまない信頼的「思考」に及ぶもので、自己の理解と納得によって選んだ住まいであったならば、「知覚価値」の高い住まいであると言え、例え当初の希望通りの住まいとはならなかったとしても、問題は起こりにくいのです。

 信頼的「思考」とは逆に、自己の理解を伴わない他力本願的「思考」や、認識や知識のすり合わせや見直し、情報の共有などを怠るような意固地的「思考」を元に進められるような家選びの場合は、経年劣化やライフステージの変化に値する予測時間が不足するので、物理的にも金銭的にも家の財産評価を低く感じられてしまう時が到来する可能性が高くなるわけです。

 すなわち。「知覚価値」の低下です。

 どうあれ、この「知覚価値」の低下という評価を真っ先に感じ得る人は、住まいを求めた人、当事者です。

 家を求める段階に行う経年劣化やライフステージの変化に対する予測は、家の構造や仕様、間取り、強いては「動線」の検討に値します。

 例えメンテナンスやリフォーム、改装、増改築などのタイミングが後追いとなったとしても、その予測した経験や記憶が、将来に関わる家の使い勝手や、これに伴い永く住まうことに対しての自己の意志とも言うべく「思考」が基の「知覚価値」の持続をもたらせ続けてくれるのです。

 あえて強めな表現をするならば、メンテナンスやリフォームに留まらず、改装、増改築などの想定は、家を求める段階から、その覚悟と共に持つべき「知覚価値」が基の予測と言え、家を持つ者の当然の使命であると捉えることも重要なのです。

 家づくりや住まいの購入の際に、住む人のライフステージの変化や家の将来に対して、家という財産を短命に扱わないという意志が元の「思考」によって、その住まいへの「知覚価値」を持つことは、検討段階での重要な通過点ですので、この『家づくりノート』では、強調の意味を以て「次元性」と呼ぶことにしています。

 家の将来については、どの時代でも、家を求める誰もが思いを巡らせて来たことです。
 

 
 しかし、我が国の住宅市場の現場をくまなく振り返らずとも分かる、その多くが30余年で除去され続けている顛末が示すように、社会情勢や時代背景が、家を求める人の感覚を鈍らせ、思いめぐらす家の将来への考慮の邪魔をし、「知覚価値」を高めるための熟考度合を浅くし続けているのです。

 住まいを求める誰もが思いを巡らせたいがはずの家の将来に対して、その意志としての確たる「思考」が持てるに相応しい手法は、求める側にとっても与える側にとっても、真実無妄の教授のし合いにしか無いにも関わらず、近代ではこの手法の歪曲や敬遠が放置され続けて来たのです。

 家を持つ人の「思考」が意志として強く持たれるためには、真実無妄の教授といった伝承行為あっての熟考が不可欠です。

 この伝承行為が失われたが故に、経年劣化やライフスタイルの変化過程考慮への軽視が進み、個人や国の財産としての家の持続が30余年で停止、地球資源の乱用という悪評に繋がっていると言っても過言ではないのです。

 

家の短命化回避 5つの要素

 家やライフスタイルの将来である「次元性」の「思考」は、耐久性や断熱性などのモノとしての機能や性能が優れた状態に保たれるべきだという「思考」ではありせん。

 家を求める人や持つ人、提案や提供を行う人、各々が持ち合わせる共通の理解や認識が家には要で、家そのものやライフスタイルの変化について、住まいの「知覚価値」の向上という目的を以て考えることが重要であるという視点で捉えています。

 確固たる統計が無いなかでも、短命な除去の要因として最も信憑性が高いと言えるのは、建て替えを行った世帯へのアンケート調査の多くで、「家の使い勝手の悪さ」が建て替えの起因として挙げられていることです。

 また、昨今の中古戸建て市場では、使い勝手に関わる説明にいくら骨を折ったとしても、買う側には良い方向に受け取ってもらえず、例え維持管理の行き届いた家であったとしても、見た目の古めかしさや、築年数、仕様などの客観情報だけで、評価を低く視られてしまうのだ。
と仲介業者からの苦言とも言える話しを頻繁に耳にするようになりました。

 空き家増加の一途によって、中古戸建て市場での供給が需要を上回っていることで選択肢が増え、買う側がこれまでにも増して、家というモノに対して目利きとなった様に感じられているのです。

 また、売主としては、買主に出来るだけ高い評価を持って欲しいと願うのが心情ではありますが、使い勝手の良さなどを売主が自画自賛すればするほど、買主に低評価扱いをされてしまう傾向があると聞きます。

 
 20年程前の中古市場の売買の現場では、売手と買手の双方が対談を希望し、その家の使い勝手や、家への愛着や楽しみまでもが授受される「知覚価値」継承のイベントでした。

 しかし、昨今の中古住宅市場では、狭小化に起因する使い勝手へのマイナスイメージが先行し、買主にネガティブ基調を来していて、供給量過多による選択肢の広さを伴い、売る側の「知覚価値」は買う側には期待のされない情報に位置付けされてしまう、負のスパイラルが生じている傾向なのです。

 まだ住めるはずの家々が、短命に除去されてしまうバイアスがかった社会情勢なのです。

 家の使い勝手というものは、家のある機能が低下したり損なわれたりしない限り、年月の経過だけで変わるようなことはありません。

 しかし、家の使い勝手の良し悪しは、その時に持ち合わせる情報や認識による「思考」によって評価されるので、年月の経過によって判断される場合が多々あります。

 子供の独立や親との同居、加齢、往生などにより、家の使い方を変えようとする時や、物が増え生活に不自由さといった機能低下が評価されると、悪化の思考が生じるわけです。

 ライフステージの変化というのは、家族構成の抜本的変化や重度な身体の変化のような予測し難い変化では無い限り、家を求める段階であってもある程度の想定ができることで、その想定機会や時間を得ることが要となるのです。

 たとえそれが中古住宅や建売住宅であろうとも、買われる立場では同じように考える必要があることのはずです。

 短命に除去されてしまう家には、その家を求める段階で、短命要因に繋がり得る要素の不足が既に生じています。

 それは、モノとして家に求めるべきであった要素の不足ではなく、家を求めたその人自身にある認識や知識を伴う熟考という経験から成る「思考」の不足です。

 すなわち。

 家の持続には、土地狭小化がけん引する家の狭小化という社会情勢に対し、対等に立ち向かえる認識や知識である「思考」を「知覚価値」向上の意を以て持つことです。

 家や住まいに対する本質の伝承を怠った私達日本人には、そのための熟考や確認が重要要素なのです。
 

「家の短命化回避5つの要素」

    1. 将来のライフステージの変化に対する「動線」と「次元性」の熟考。
    2. 「次元性」の要素「可変性」「交換性」に関わる構造や仕様の熟考。
    3. 劣化や消耗に対する自力解決の熟考。(自力解決度が高い家は他力解決度も高い。)
    4. ネガティブな問題への着眼と優先熟考。ネガティブの中にあるポジティブ。
    5. カネ(金)やモノ(家)といった価値よりも、ヒトの知覚価値を高める時間や場面を確保。

 
 

住まいの「動線」・ノート一覧
57-1 住まいの長持ちは「動線」で決まる?!
57-2 住住まいの「動線」検討は「知覚価値」を高める起源
57-3-1 住まいの「動線」 分類と解釈
57-3-2 住まいの「動線」「生活動線」は動線の総称
57-3-3 住まいの「動線」 「家事動線」は特別な動線
57-3-4 住まいの「動線」 「来客動線」は特別な動線
57-4 住まいの「動線」「作業動線」とは?
57-5 住まいの「動線」「視聴嗅動線」とは?
57-6 住まいの「動線」 動線の「次元性」とは?

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